教育における伝言ゲームを成立させるための”回線”

教育は伝言ゲームである。家庭及び教育機関が、社会が求める力・これから必要な力を見極め、それを子どもに伝え、身に付ける。社会→子どもへの伝言ゲームだといえる。

子ども→社会も同じだ。現代における、社会が求める力≠学校が求める力という課題は、子どもを通して、社会に多大な影響を与えている。教育の成果は長期間で、じわじわ浸透することを考えると、今後ますます、その影響を実感するだろう。果たして、教育の伝言ゲームの結果は??

伝言ゲームは失敗しているのだろうか?

日本の教育現場において、この議論の参考にされているのは、「PISA」である。ちなみに、PISAはその目的を、

義務教育修了段階(15歳)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る

としている。つまり、実生活=社会の状況をテストに色濃く取り入れ、「活用することができるのか」を評価している。このPISAの結果は、メディアでも多く取り上げられ、「日本の生徒の学力が下がっている!」と話題になることが多い。

しかし、果たして、本当に学力が下がっているのだろうか。僕はそう思わない。日本の生徒の学力が下がっているのではなく、変化する学力の定義についていけてないのではないだろうか?この視点を考慮せずに議論していては、PISAの結果が改善されることはないだろう。

たとえば、順位の低下が顕著な読解力。2000年(日本は8位)時点では、

読解力とは、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。

と定義されていた。この定義は年を重ねるごとに、大きく変化していく。現在最新の2018年(日本15位)の時点では、以下のように定義されている。

読解力とは、「(中略)、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと。」である。

文言にすると、少しであるが、その意味合いはかなり変わっている。一番大きな変化は「評価」だ。書いてある情報・心情を読み解く力が求められているだけではなく、書かれていることが正しいのか、内容や意図を検討する力まで求められている。情報=正しいではなく、疑うことこそが、新しいアイデアを生むことにつながり、まさに今求められれているのは、そのクリエイティビティであろう。

「指示=従うもの、大人の言うこと=正しい」では、これからの社会を生き抜くために厳しい戦いが待っていることは、ほぼほぼ間違いない。

伝言ゲームを成立させる”回線”になりえるのは?

解決する方法は、ずばり「    !」と言えればいいのだが、こればかりは分からない。ただ、議論の前提から見直し、考え方を軌道修正する必要があるのは間違いない。そういった基盤を入れ替えることが回線を直すことにつながるだろう。

短期的では無く、長期的な目線で、「成績を上げるための教育」ではなく、「今より良い未来にするために必要な教育」を考え、議論する。その積み重ねでしか、教育は変わらない。今の子どもたちが、社会の担い手となる20年後、世界は、社会はどうなっているのだろうか。20年後に待つ未来が、少しでも明るくなるようにできるのは、教育であると願って。

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